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さて、早速ですが「アロハヨコハマ」が歴史ねつ造問題を起こしている証拠として一部ですがアップ致しましたので、当方の主張をご理解頂ければありがたいと感じます。
そもそも、何が「歴史ねつ造」なの?と考えられる方も多い事でしょう。それを物的証拠と文章でお見せしたいと思います。
まずは、このイベントが生まれる以前の話からさせて頂きたいと思います。「ヨコハマ・ハワイイ・フェスティバル」は、2002年に横浜大さん橋が全面リニューアルする時に生まれました。その1年前、2001年に株式会社ペッププランニングの代表者である嶋本氏(彼とは20数年来の友人で、仕事に於いても当方が主催していた「ハワイアンマーケット」の現場しきりを数年間有料にて手伝ってもらいました)より、横浜大さん橋のリニューアルのこけら落としイベントとして、「ハワイアンマーケット」※ を拡大してやってもらえないか?と打診がありました。当時はまだ、業界がブレイク前でした。その規模は3,300平方メートルという前例のない壮大な規模のハワイアンイベントです。お店も現在のように沢山ありません。100店舗近く集める事は実際には困難なミッションでした。さらに、会場も完成していない訳です、ビジネス的に考えればとても無謀なチャレンジでした。骨組みベースとなる企画はほぼ全て山内が作成しました。
※「ハワイアンマーケット」とはヨコハマハワイイフェスティバル2002年以前の4年間位前から継続的に1,000人位集客する独創的な催事。1881年カラカウア王が国賓として明治天皇に迎えられた歴史的史実を主軸に、ハワイと日本の文化的交流、また一般の人々が気軽に集える新コンセプトが好評な催事でした。
その「ハワイアンマーケット」を見てきた嶋本氏が私に依頼してきた訳です。当時ハワイに関してほとんど知識、経験の無い彼らの会社単独では成し得ない事業であった事は言う迄もありません。
実際にこのイベントを行うにあたり諸費用合算は、彼いわく、イベントとして現場諸費用1,000万円近くかかるとの事でした。この話が来た段階での実行は巨額である為、不可能である事を私は嶋本氏に告げました。その直後、嶋本氏からの再度提案で、折半での開催はどうか?との提示がありました。(当然、ビジネスですから仕事料に見合ったリスク、利益となります。しかし、コンテンツソフト等は当方が最初から持っていますので、これも常識的にそこに反映されるのが常識ですね)それならば、当方としてもリスクが半分であれば実行可能と判断し、口約束で友達であった嶋本氏を信頼し事は動き出したのです。これがそもそもの始まりです。嶋本氏を介し開催依頼してきたのは「横浜港振興協会」のトップからでした。
そして同時期、この事業を大きく後押ししてくれたのが、「メリーモナークフェスティバル」の創始者の一人である、ハワイ最高峰のフラ指導者、故ジョージ・ナオペ氏です。横浜のフラスタジオのU先生に現在は閉店したハワイアンバー「レイハレ」にて紹介して頂きました。故ジョージ・ナオペ氏はカラカウア王と横浜の繋がり、ハワイ文化について長年勉強をしていた私に共感し、全面的に無償でこの催事に強力してくれる事と成りました。もちろん、互いの思いは皆にもっと「本当のハワイの良さフラの素晴らしさ」を知ってもらう為にです。
2002年初回開催に向け始動。
イベント開催に向け嶋本氏と互いに動き出したはずですが、営業の要として大切である嶋本氏サイドの営業実績が一向に現れません。時折行われるミーティングに参加している彼の部下の意識も希薄でした。彼らなりにスポンサー&出展者営業リストを作成しましたが、実績が伴いませんでした。そんな部下達に嶋本氏は私が参加しているミーティングで激を飛ばしました。一方、私は本業である企画デザインの受注は押さえ、このイベントの成功に向け特に営業等に邁進しました。結果、最終的に山内サイドが売り上げ金額の8割位を集めました。つまりこの時点で、嶋本氏は当初約束通りの不足リスクを負う責任があるわけです。これが、最初の大きな問題点です。
しかし、嶋本氏いわく、横浜大さん橋の管轄である「横浜港振興協会」にお願いし、会場費を彼が無料にしたのだからその費用でチャラになる...と、訳の分からない弁明をしたのです。しかも横浜大さん橋のこけら落としとして「横浜港振興協会」が開催するのに、依頼された山内サイドで会場費を払う必要が何処にあるのでしょうか?これは常識的ではありませんね。しかも当初から当然会場費は無償という前提でした。通らない主張です。
実行委員会&経理に関して:。
初回2002年の実行委員会事務局長、創始者は私です。(証拠写真1参照/通帳名義)コンセプト、命名、ロゴ、コーディネート、出展者収集、出演者交渉、広報等に至迄、山内サイドが中心で行っていました。その当時の膨大な仕事証拠資料は今も保管。そして初回の事務局は私が経営していた有限会社エービーズ内にありました。もちろん、連絡先も全て当方です。ハワイアンサービスという名義がそうです。その時の膨大な労力は想像して頂ければご理解頂けると思います。何せゼロベースからのスタートなのですから..。
振り返り考えれば実行委員会とは名ばかりで実行力が伴わない存在でした。メンバー構成は当方の意見が反映されませんでした。創始者であるにもかかわらずにです。
そして、おかしな事は続きます。イベントの経理関連についてです。イベント終了後、出展者等から入って来た金額全てを名義借りをしていた、ニッポン放送に一括入金するよう嶋本氏が要求して来たのです。当時からニッポン放送と嶋本氏の会社、ペッププランニングは仕事関係にありました。
このイベントのほとんどが外注費等の支払いと言う事もあり複雑ないきさつ上、仕方なく総額を振り込んでしまいました。入金のほぼ合計6,555,780円をエービーズからニッポン放送に振込(鉛筆で書いた円内 金額。)
※証拠写真1参照。
※証拠写真2参照。
これは事実です。常識的な方なら理解頂けますよね。名義料でそれだけの大金を流す事は常識ありえません。つまりこれで、イベントを動かしたのは、結果嶋本とニッポン放送である。というありえない事実が成立する訳です。
周り戻って来た外注費等全て支払うと、当然、嶋本の営業の不足分を含め大赤字です。それを結局私個人で支払いました。
しかしながら、2002年度、他の友人達の強力もあり集客には大成功した為、2003年度はこれをバネに改善をはかり再度巻き返しの挑戦を決意。そして嶋本氏は当然、初年度の反省を踏まえより一層の努力をする事を約束し、開催を決定。
2003年度も私は実行委員会事務局長に就任。しかし結果は次年度の収支よりさらにひどく、嶋本氏サイドの収入はほとんど無いまま終了。会場を倍に拡大した分も要因となり大赤字でまたもや終了。嶋本氏サイドの営業力不足によるものです。彼らが行ってきた2年間の仕事内容のほとんどが現場のしきりに関連した事という結果でしかなかった。その営業力の無さを彼自身も認めました。しかしながら、信じられない事に当初の約束であるリスクの分配は言い訳ばかりで実行されませんでした。この2年間の結果、山内はおよそ500万円以上の実質持ち出しを余儀なくさせられたのです。これには私もさすがに我慢ならず、嶋本氏に次年度イベントの続行を共にする事を断りました。これが業界で噂になった「仲間割れ」ですが、事実は嶋本氏サイドの口約違反です。2度もリスクを公正に負わないという常識を逸脱した行為を許せるはずもありません。
まだ寒い時期、ヨコハマハワイイフェスティバル実行委員長との大さん橋での打ち合わせの帰り、嶋本氏と夕暮れ時の大さん橋の入り口付近街頭にあるベンチで約1時間位二人は話ました。私が意を決し「これで次回決別しよう」と発した最後の言葉に反応し、嶋本氏の口から次の瞬間このような言葉が出てきました。「実は、今、自社が経営難でありヨコハマハワイイフェスティバルをやらせてくれないか?そうすれば、借り入れられるので資金繰りになり会社が回るので大変助かる」つまり、彼の会社を助ける為に手を貸してくれという事。既に30年近い友人でもあったので全く無視する事もできず、時間を少し空け考慮したあげく、当方が出す条件付き(企画骨子は全て当方、利益を出しそれを約束通り当方に責任返済、今迄のコンセプトを継承等)で、2004年度、彼に結局開催を許してしまいました。時間的にも間に合わない時期を向かえようとしていました。
本当にこれこそが最大の過ちでした。もし私が他の業者と「ヨコハマハワイイフェスティバル」を決断していればこのようなバカらしい結果にはならなかったはずです。しかし、今思えばその瞬間から嶋本氏が他の団体と組織的パワハラ(当時はこの様な言葉が存在しませんでした。)により私を閉め出しに本格的かかったのだ...と感じているのです。それを裏付けると思われる資料が、
※証拠資料3(2枚)。(注)赤字は私が書いたものですので関係ありません。
これは、「ヨコハマハワイイフェスティバル実行委員会の規約書」です。2枚目の上部、11条を見てください。実際この条例には違法性がある事を後に行政書士から知らされました。この11条が存在した為、山内は実行委員会に於いて権限を剥奪されたのです。この時の実行委員長が条例に記されていない事は全て委員長個人の権限で全て行使....という内容が条例に盛り込まれています。本来の実行委員会ではあり得ない条例であるのに係わらず私以外の全ての委員はそれを認めていたのです。これは経緯はどうあれ結果的に組織ぐるみのパワハラにあたるとは思えませんか?
※この書類は当時営業時に普通に外部に出していた書類です。
友人を助ける為によかれと嶋本氏に預けた「ヨコハマハワイイフェスティバル」はこうして事実上一連の行為により横取りされた形になったのです。
しかも、この実行委員会の実態はおそまつであり、1年に1度もしくは2度のみしか開催された事の無い、ほとんど実体のない委員会に近かったのです。毎年、4月頃になり前年度の収支報告、そして本年度の開催概要を報告するといったものでした。こういった計画性等の無さの故、スポンサー取得のタイミングが遅れ、催事の資金繰りに悪影響をきたした事は言うまでもありません。これこそが、約20万人も集客があるイベントであるにも係わらずスポンサーが着かなかった大きな理由の一つでもあるのです。
本題:2008年にねつ造と思われる事件が起きた。
これ迄幾多の困難はあったものの、山内は創始者としてなんとか実行委員会内に創始者としてのポジションで残り続けました。その事件が起きたのは次年度2008年の締めの実行委員会も行われていない時期でした。突然、ハワイアン業界に2009年7月横浜大さん橋で開催する「アロハヨコハマ」という新しいイベントに出展しませんか?という営業書類が広く送付されたのです。しかも横浜市の名義が入っているのです。横浜市行政としての約束事では、類似した内容の大きな催事遂行については重複する事は実行しがたいといった決まりがあるのにです。
つまり、ハワイと銘打った2つの実行委員会が同年度内に存在していたという事ですから。それを山内が関係者から知り、即座に市関連の担当部署に電話を入れ説明を求めました。その返事が、 電話に録音されています。聞いてください。
証拠資料4(クリックして下さい)
(MP3音声、担当者が釈明しその存在を認めている)
さらにそれを決定的に裏付けるものがあります。
証拠資料5
これは当時ペッププランニングのホームページに掲載されていたものです。
「ヨコハマハワイイフェスティバル」が、「アロハヨコハマ」へと生まれ変わりました....。しかも、ペッププランニングのオリジナル企画となってるではありませんか...。どういう事でしょう?事実とは異なる全く虚実内容です。
これを「ねつ造+すり替え」と言わずなんと表現できるでしょうか?全く持って常識的ではありません。こうなると嶋本氏だけの単独行動とは言いがたいと思いませんか?
※このサイトは山内が見つけ即刻削除要請しました。もし、見つけなければ継続されていたはずです。知らなければそれが当たり前のように歴史になってしまうのです。この一連の話は本当に恐ろしい事と思いませんか?また、退社した元社員からもその他の良からぬ事を嶋本氏が行って来た事を聞いています。
また別談になりますが、嶋本氏が主体となり行っている「アロハヨコハマ」は、社団法人日本イベント産業振興協会主催の年間催事に応募、一度は入選しましたが、山内がこれに対し事実と異なる事実を協会に異議申し立て、関係書類を証拠提出した結果、入選取り消しとなりました。これが事実です。
故ジョージナオペ氏が私達(有志他2名)と共に作り上げた、「ヨコハマハワイイフェスティバル」に対し偽りの歴史が残る様、嶋本氏が行って来た数々の行動に対し私は心底憤りを感じているのです。
この様な事は社会常識を逸脱しています。断じて許してはならない事です。
今迄、当ホームページではこのねつ造問題に関し何度か掲載をしていますが、嶋本氏からの抗議は一切受けていません。それも何よりの事実証拠にもなると感じています。
これにて、当方の今回の抗議、主張は終わりますが、どうかこの様な問題に対し皆さんは目をつぶらず、この事実を心ある方々に語り広げて頂きたいと強く願っています。次代の為に同じ様な事が決して起こらない様、切に願っています。
長文に成りましたが、これでも一部のみの紹介です。歴史がねつ造されてしまっては、故ジョージナオペ氏が心から協力してくれた事、参加してくれた多くのハワイ人達と横浜の歴史が全て偽りの中に消えてしまいます。どうかそれだけは許さないでください。
山内康弘